2018年4月下旬 桧原運動公園へ行ったが、、 [認知症と病気と介護]
◆4月20日(金曜日)
かかりつけ医を受診しましたが、特に問題はありませんでした。そして大学病院へ恒例のCT検査の依頼をお願いしました。
以前ここで人工血管の手術をした後、定期的にCT検査をして血管の様子を監視しているのです。それで2011、2012年に動脈瘤が発見されステントグラフト挿入の手術をしました。
→ 2011年6月 大動脈瘤ステントグラフト挿入手術その1
→ 2012年3月 大動脈瘤ステントグラフト挿入手術その2
だいたい2年おきに次の予約を取っていたのですが、前回からその予約が取れなくなったのです。(おそらく1年以上の予約は取れなくなっている)そこでかかりつけ医から要請してもらうことにしていました。来週の木曜日に予約が取れたのことでした。
CT検査の結果
→ 2018/04/26 母は爆弾を抱えていた、でも愛しているよ!
◆◆◆
その夜です。夕食後に「お墓参りへ行く」と言います。聞くと、どうも別府のことのようですが、そういうと怒るのです。またまた、現在年齢の後退が発症したのかな。その件はそれだけしか書いてないので、あとはどうだったのか。
そして、その後は「お風呂に入る」と言いだして、お風呂を入れる用意をしている? これもここまでですが。おそらくは、風呂桶横の水栓を開けたのではないでしょうか。
うちの風呂はもう10数年以上前に電気で温水を温める仕組みに替えて、いつでもお湯が出るようになっています。(まあ戸建てなら普通の装備かと思います。) でも最初から付いていた水栓があって、以前はそこからガスで湯沸かしたお湯が出ていましたが、電気に替えてからは水しか出ないのです。そうしたのは、母が自分でやったことなので、今まではちゃんとやっていましたが、最近はこの水栓をひねってお湯を入れようとするのです。
「お母さん、そこはお湯出ないから。」と、その度に教えていました。もう、これも忘れているんですね。
うちのお風呂です。
◆4月21日(土曜日)
この日はデイサービスでしたが、午前4時頃まで眠れませんでした。たぶん3時間ほどしか寝ていませんが、デイサービスへ行ってもらいました。またスタッフに、あまり寝てない旨を告げて。
ここも、もう何も書いてないので特にそれで問題はなかったのでしょう。施設ノートにも特にその記述はありませんでした。
◆◆◆
翌日でした。「桧原運動公園」という所へドライブしました。ここは油山の裾になりますが、母を連れてくるのは初めてです。
駐車場へ停めて母を車椅子に乗せて散策をしました。ところが、けっこう勾配があるんですよね。さっき書いたように山の裾なので、ほとんど坂ばかりです。平面は運動場だけのようです。でもまあ、そんなにきつい勾配ではなかったので奥へと入って行きました。すると広場のような場所があったので、そこでまったりと過ごしていました。
でも、やはり勾配はだんだんと疲労をともなってきます。疲れてきたので、やはり退散するこにしました。
もっと北の方は平地の場所があったのですが、それは後に気づいたことでした。
(Googleマップより)
(Googleマップより)
(Googleマップより)
ここが駐車場です。
(Googleマップより)
ここがまったりとした広場です。
◆◆◆
そしてその夜でした。
また夜にドライブです。「家に帰ろう」と言うので、仕方なく車に乗せて一回りしました。そして家へ戻ると「ここは嫌!」と言うのでまた出て行き、今度は有田へ行きました。ここは今の家に来る前に住んでいた所です。
その有田の家は売却したことを話すと、覚えていません。(よね。)覚えているかな、と少し期待してみましたが、、。
そしてやっと戻って、家へ入ったのでした。
もう疲れますね。
ーーー お母さん、うちへ帰ってきたんだよ。 ---
かかりつけ医を受診しましたが、特に問題はありませんでした。そして大学病院へ恒例のCT検査の依頼をお願いしました。
以前ここで人工血管の手術をした後、定期的にCT検査をして血管の様子を監視しているのです。それで2011、2012年に動脈瘤が発見されステントグラフト挿入の手術をしました。
→ 2011年6月 大動脈瘤ステントグラフト挿入手術その1
→ 2012年3月 大動脈瘤ステントグラフト挿入手術その2
だいたい2年おきに次の予約を取っていたのですが、前回からその予約が取れなくなったのです。(おそらく1年以上の予約は取れなくなっている)そこでかかりつけ医から要請してもらうことにしていました。来週の木曜日に予約が取れたのことでした。
CT検査の結果
→ 2018/04/26 母は爆弾を抱えていた、でも愛しているよ!
◆◆◆
その夜です。夕食後に「お墓参りへ行く」と言います。聞くと、どうも別府のことのようですが、そういうと怒るのです。またまた、現在年齢の後退が発症したのかな。その件はそれだけしか書いてないので、あとはどうだったのか。
そして、その後は「お風呂に入る」と言いだして、お風呂を入れる用意をしている? これもここまでですが。おそらくは、風呂桶横の水栓を開けたのではないでしょうか。
うちの風呂はもう10数年以上前に電気で温水を温める仕組みに替えて、いつでもお湯が出るようになっています。(まあ戸建てなら普通の装備かと思います。) でも最初から付いていた水栓があって、以前はそこからガスで湯沸かしたお湯が出ていましたが、電気に替えてからは水しか出ないのです。そうしたのは、母が自分でやったことなので、今まではちゃんとやっていましたが、最近はこの水栓をひねってお湯を入れようとするのです。
「お母さん、そこはお湯出ないから。」と、その度に教えていました。もう、これも忘れているんですね。
うちのお風呂です。
◆4月21日(土曜日)
この日はデイサービスでしたが、午前4時頃まで眠れませんでした。たぶん3時間ほどしか寝ていませんが、デイサービスへ行ってもらいました。またスタッフに、あまり寝てない旨を告げて。
ここも、もう何も書いてないので特にそれで問題はなかったのでしょう。施設ノートにも特にその記述はありませんでした。
◆◆◆
翌日でした。「桧原運動公園」という所へドライブしました。ここは油山の裾になりますが、母を連れてくるのは初めてです。
駐車場へ停めて母を車椅子に乗せて散策をしました。ところが、けっこう勾配があるんですよね。さっき書いたように山の裾なので、ほとんど坂ばかりです。平面は運動場だけのようです。でもまあ、そんなにきつい勾配ではなかったので奥へと入って行きました。すると広場のような場所があったので、そこでまったりと過ごしていました。
でも、やはり勾配はだんだんと疲労をともなってきます。疲れてきたので、やはり退散するこにしました。
もっと北の方は平地の場所があったのですが、それは後に気づいたことでした。
(Googleマップより)
(Googleマップより)
(Googleマップより)
ここが駐車場です。
(Googleマップより)
ここがまったりとした広場です。
◆◆◆
そしてその夜でした。
また夜にドライブです。「家に帰ろう」と言うので、仕方なく車に乗せて一回りしました。そして家へ戻ると「ここは嫌!」と言うのでまた出て行き、今度は有田へ行きました。ここは今の家に来る前に住んでいた所です。
その有田の家は売却したことを話すと、覚えていません。(よね。)覚えているかな、と少し期待してみましたが、、。
そしてやっと戻って、家へ入ったのでした。
もう疲れますね。
ーーー お母さん、うちへ帰ってきたんだよ。 ---
2021-07-20 09:18
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0