2012年5月 介護の準備期間その2 [認知症と病気と介護]
母80歳です。
コロナがだんだん増えて欧米規模に近づいていきそうな気配ですが、、。
コロナがだんだん増えて欧米規模に近づいていきそうな気配ですが、、。
◆◆◆
ゴールデンウイークが終わりましたが、まだ仕事は続いていました。仕事に行く前にちょっと母のことが気になったのでしょう、昼休みに戻ってみましたが何も問題はなかったです。日記では詳しいことがわかりませんし、もう記憶もないので何だったんでしょうかねえ?
◆◆◆
前回、駐車場でこけて病院へ数回行って終わったと書きましたが、まだ続いていたようです。(^^;
仕事が休みの日にまた病院へ連れて行きましたが、人が多くて1時間半も待たされました。相変わらず病院というのは待たされるものですね。
そして今度は腰が痛いというので整形外科へ行ってレントゲンを撮ると「圧迫骨折」の可能性があるが、加齢が原因で問題はないとのことでした。
◆◆◆
次の日、仕事から帰ってみると雨戸が閉まっています。そして何とお風呂にも入ったとのこと!(今考えると想像できませんが) うちは蛇口をひねればお湯は出るようにはなっていますが、古い蛇口は水しか出ないはず、母はよくこれを間違えていましたので、大丈夫だったのか!と思わず感じました。そして元気が出てきたようです。嬉しい。
ですが日毎に様子が違っているようで、その翌日には仕事から帰ると寝ています。何だか様子がおかしいと書いていますが、どうおかしいのか? 「寝すぎが原因か」なんて書いてますが、、、。
そのまた翌日は調子が良いと書いてあります。まあ、退院後なので体力が回復している途中だったのでしょう。
翌日に仕事から帰ってみると、ご飯を炊いてありましたが、水が多すぎて柔らか過ぎ!
、、、そうか、このころはまだご飯も炊けるんでしたね。あただ水の量はもうわからないのかも、、、。
たぶんこの日が最後の出勤日だったようです。
◆◆◆
もう5月も中旬に入りました。
また病院へ行って待ち時間の間に、母に姉妹について話を聞いてみました。何を聞いたのかは忘れてしまいましたが、「こういうことを続けるのはいいことだ」と書いています。普通は待ち時間の時でもほとんど口を聞くことはないので、私としても嬉しかったんでしょうね。
その午後に、お茶仲間の茶会に出席できないことを告げるため、その方の家まで行くと言います。場所は東の方の古賀市です、遠い! まあ、このころは仕事辞めたとは言え収入はあって余裕でしたし、時間もあったのでドライブがてら向かいましたが、結局会わずに帰ってきました。何でしょうかね。
◆◆◆
買物に行きましたが、足が弱っているようなので引き返しました。 このころはまだ歩行器はありませんでしたが、杖は1年前に退院した時に買ってありました。けれどすぐその後、登山用ステッキに買い換えました。それにはついてちらへ
シルバーカーというのか、歩行器というのか(このころは機器の名称がわかっていません)何か補助できる機器などが必要にせまられていることに認識したようです。
ゴールデンウイークが終わりましたが、まだ仕事は続いていました。仕事に行く前にちょっと母のことが気になったのでしょう、昼休みに戻ってみましたが何も問題はなかったです。日記では詳しいことがわかりませんし、もう記憶もないので何だったんでしょうかねえ?
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前回、駐車場でこけて病院へ数回行って終わったと書きましたが、まだ続いていたようです。(^^;
仕事が休みの日にまた病院へ連れて行きましたが、人が多くて1時間半も待たされました。相変わらず病院というのは待たされるものですね。
そして今度は腰が痛いというので整形外科へ行ってレントゲンを撮ると「圧迫骨折」の可能性があるが、加齢が原因で問題はないとのことでした。
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次の日、仕事から帰ってみると雨戸が閉まっています。そして何とお風呂にも入ったとのこと!(今考えると想像できませんが) うちは蛇口をひねればお湯は出るようにはなっていますが、古い蛇口は水しか出ないはず、母はよくこれを間違えていましたので、大丈夫だったのか!と思わず感じました。そして元気が出てきたようです。嬉しい。
ですが日毎に様子が違っているようで、その翌日には仕事から帰ると寝ています。何だか様子がおかしいと書いていますが、どうおかしいのか? 「寝すぎが原因か」なんて書いてますが、、、。
そのまた翌日は調子が良いと書いてあります。まあ、退院後なので体力が回復している途中だったのでしょう。
翌日に仕事から帰ってみると、ご飯を炊いてありましたが、水が多すぎて柔らか過ぎ!
、、、そうか、このころはまだご飯も炊けるんでしたね。あただ水の量はもうわからないのかも、、、。
たぶんこの日が最後の出勤日だったようです。
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もう5月も中旬に入りました。
また病院へ行って待ち時間の間に、母に姉妹について話を聞いてみました。何を聞いたのかは忘れてしまいましたが、「こういうことを続けるのはいいことだ」と書いています。普通は待ち時間の時でもほとんど口を聞くことはないので、私としても嬉しかったんでしょうね。
その午後に、お茶仲間の茶会に出席できないことを告げるため、その方の家まで行くと言います。場所は東の方の古賀市です、遠い! まあ、このころは仕事辞めたとは言え収入はあって余裕でしたし、時間もあったのでドライブがてら向かいましたが、結局会わずに帰ってきました。何でしょうかね。
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買物に行きましたが、足が弱っているようなので引き返しました。 このころはまだ歩行器はありませんでしたが、杖は1年前に退院した時に買ってありました。けれどすぐその後、登山用ステッキに買い換えました。それにはついてちらへ
シルバーカーというのか、歩行器というのか(このころは機器の名称がわかっていません)何か補助できる機器などが必要にせまられていることに認識したようです。
2021-01-09 09:52
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