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2018年12月初旬 お茶の師匠の名前は覚えている [認知症と病気と介護]

87歳です。■■■初めての方はお母さんの目次をご参考に■■■

今は2021年8月19日木曜日です。すでに2回目のお盆も過ぎて、亡くなってから1年4か月が経ちました。いまだに母のことは毎日思いだしていますし、このブログを書く時などは、一番思い出す時間でもあります。日記は全部読んでいたつもりでしたが、このブログを書く時に改めて読み返して色々再発見することもあります。

一番気づいたことは、2018年ごろからかなり老けてきたことです。当時は全く気づきませんでしたが、妹が帰るたびに「また老けたね」と言っていたことが思いだされます。そして今こうやって写真を見ると、明らかにそれはわかりますが、毎日見ているとその変化には気づかなかったのですね。[もうやだ~(悲しい顔)]

◆12月6日(木曜日)
来年の年賀状の準備をと思って母の年賀状を整理していると、お茶のお師匠さんからの年賀状があるのに気づきました。えっそうだったけ? 名前が○○ ○○とあります。えっ?もう亡くなっているのに。そんなはずは無いよな。住所は同じだし。

でも、先生の下のお名前は私は覚えてなかったのです。以前の年賀状を見ると、お茶の敬称で書かれていたので、わかりませんでした。(本名ではなくてお茶の世界で通じる俗称のようなもの、母もその名前で出しています。たぶん京都のお茶の総会?に届け出が必要?)

そして母がデイサービスから帰ってきたので、「○○先生の下の名前わかる?」と聞くと「○子」とすぐ答えました!即答です!

すごい! お母さん、ちゃんと覚えていたのね![わーい(嬉しい顔)]

おそらく息子さんのお嫁さんだと思いました。(息子さんも亡くなられた)

ーーー
母は認知症なんだろうか?って時々思いました。家族や近しい人のことは忘れることはありませんし、お茶の師匠の名前もちゃんと覚えていました。でも、私の名前は相変わらず出てこないのよねえ。(--; でもたまに○○!と呼ばれることもありました。あーお母さんだな、、と感じました。[わーい(嬉しい顔)]
ーーー


◆◆◆
さて、夜になって寝る時にトイレで座らない、これはよくあることですので放っときました。、、ってトイレに放置ってことじゃなくて、ベッドかどこかまで連れて戻ったんだよな。そこで私は先に寝て、午前1時ごろ目が覚めてみると、母はどうしていたのか、日記には寝る用意させてベッドへ寝かせた、と書いてありました。

まあ、これもいつものことですが、毎度のことで途中を端折っているんですね、後から読み返して、一連の流れがつながりません。[ふらふら]


◆◆◆
翌日の夕食後にまたまたウロウロして、放っておくと外へ出ました。「どこへ行くの?」「家に帰る」、、またか。寒いので連れて帰った、とさ。これもかなり端折ってますね。


◆12月8日(土曜日)
夕食後すぐに席を立ちますが、母は何も言わないまま。ところが臭いので、私がオムツを下げると便が出そう(少し出ていたってことか)。そこでトイレに連れていって、少し汚しましたが適切に処置した、、これも端折ってるわ。便で汚すとは、汚した場所によって対処が変わってくるのは当然ですが、これではわかりせん。


◆◆◆
そして夜、寝る前に服を脱がせると何とフリースが無い!

冬場は下着の上にフリースのタートルネックの長袖を着せています。そしてその上にセーター等を着せているはずですが、そのセーターを脱がせると下着しか着てないんです。あれれ、2枚しか着てなかったんだ、そりゃあ寒かったろうに。

おそらくは、デイサービスで入浴した後は暑いので着せなかったんだろうか? そして、そのままにして、しかもカバンにも入れてなくて、置いてきたとはね。

翌日デイサービスへ連絡してみると、その日はフリースは着ていなかったとのこと! 何てこったい、私の勘違いか???[がく~(落胆した顔)]

--- あーお母さん、寒かったろうに。ごめんなさい。 ---


◆12月9日(日曜日)
夜になると、スイッチが入ったかのごとく「寝ない!」の一点張り! そこで12時ごろまで待って、「寝るよ」と言うと、大人しく従ってくれました。これも端折ってるし。

あーあ、何だかな。[ふらふら]


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