2018年3月中旬 まだ眠れないし、外へ出る [認知症と病気と介護]
◆3月8日(木曜日)
午前4時過ぎまで起きていたようです。その前、午前1時過ぎに目が覚めて起きてみると、母も起きていて歩き回るので床に座らせて、私は寝ました。そして、今度は午前5時頃にまた目が覚めて、母をベッドに寝かせました。
朝になってデイサービスへ行かせました。またいつものようにスタッフへ断りを告げて。
そうしたころ、母のお茶のお弟子さんから電話があり、来月の4月にも会いに行きますとのことです。ありがたいですね。
◆3月10日(土曜日)
午前1時過ぎに目が覚めたら母も目が覚めたみたいですが、私はまた寝てしまいました。その後、午前5時半に目が覚めると、また母も起きていますが、またも私は寝てしまいました。
そして朝になって、7時前に起きると、何とは母はオムツ脱いでいて、下の防水シーツがびしょびしょ!!
思わずひっぱ叩いてしまったのです、2度3度と。あーあ、何ともう、お母さん、ごめんなさい、と書いてありました。
こういう風に思わぬ事態になっていると、やはりどうしても手が出てしまうんですね。
--- お母さん、お母さん、、ごめんなさい。 ---
なんとか新しいオムツに替えさせて、寝かせましたが、寝ていないみたいです。それでもデイサービスへ行かせました。またいつものようにスタッフへ断りを告げて。おそらく施設で寝ているはずですしね。
◆◆◆
翌日はドライブへ出かけました。
やよいの風公園で散歩、金武の里公園Pで休憩、そして裂田溝(さくたのうなで)公園で周辺を車椅子で散策、と書いてありました。けっこう色んな場所へ行ってるのですね。
--- お母さん、ドライブ楽しめましたか。 ---
そして夕食後、「家に帰る」と靴をはきました。
外に出る前、母は「送って」と言いますが、私は「いやここは私の家だから外へは出ないよ」と言うと、「何でねー。」と母は怒ったように言います。そして、外へ出たので、ついていきます。そしてすぐに疲れて、きつそうになったので「もう戻ろうね。」と連れ帰りました。
同じようなことが起きますが、仔細は若干その日によって違うようですね。出てくる言葉も違っていますし。
でも大筋は同じようなことで
、、、
今の家が自分の居場所ではなくて、帰る場所が他にあるので帰ろうとする
、、、
という事なのですね。
あーあ、もう疲れますが、付き合っていくしかありません。
その翌日も、同じようなことで「家に帰る」ってことで、すったもんだの挙句、、落ち着く、、と書いてありました。まったく、毎日かよ。
◆3月14日(水曜日)
夜になって夕食前でしたが、いきなりスイッチが入ったかのように、「電話せな、もうー間にあわん!」と叫びます。何?いったいどうしたの?
聞くとどうも大分県の別府の実家に居た頃の話のようです。でも「ついこないだよ!」と言うのです。
お母さん、今幾つなのでしょう。自分が子供の頃に戻っているみたいです。
で、その話はというと
、、、
家に居ると誰かがやって来て、お釣りがなかったので何も買わずに帰った。
その人に電話しないといけない。でも自分は会ってない(何で?)
お父さんもいなくて、、自分しかそこ(ちゃんと魚屋と言ってる)に居なかった。
、、、
とのことです。
とにかく、母の実家は魚屋だったのですが、独りで留守番でもしていたんでしょう。そこへお客さんが来ましたが、お店に「お釣りの銭」が用意してなかったので、何も買わずに帰ったと。でもそこで何故その人へ電話する必要があるのでしょうかね。???
ただ、これも夕食があると、すぐに忘れてしまったようですが。これほど具体的な昔の事実?のお話は初めてですね。
--- お母さん、大丈夫だよ。 ---
午前4時過ぎまで起きていたようです。その前、午前1時過ぎに目が覚めて起きてみると、母も起きていて歩き回るので床に座らせて、私は寝ました。そして、今度は午前5時頃にまた目が覚めて、母をベッドに寝かせました。
朝になってデイサービスへ行かせました。またいつものようにスタッフへ断りを告げて。
そうしたころ、母のお茶のお弟子さんから電話があり、来月の4月にも会いに行きますとのことです。ありがたいですね。
◆3月10日(土曜日)
午前1時過ぎに目が覚めたら母も目が覚めたみたいですが、私はまた寝てしまいました。その後、午前5時半に目が覚めると、また母も起きていますが、またも私は寝てしまいました。
そして朝になって、7時前に起きると、何とは母はオムツ脱いでいて、下の防水シーツがびしょびしょ!!
思わずひっぱ叩いてしまったのです、2度3度と。あーあ、何ともう、お母さん、ごめんなさい、と書いてありました。
こういう風に思わぬ事態になっていると、やはりどうしても手が出てしまうんですね。
--- お母さん、お母さん、、ごめんなさい。 ---
なんとか新しいオムツに替えさせて、寝かせましたが、寝ていないみたいです。それでもデイサービスへ行かせました。またいつものようにスタッフへ断りを告げて。おそらく施設で寝ているはずですしね。
◆◆◆
翌日はドライブへ出かけました。
やよいの風公園で散歩、金武の里公園Pで休憩、そして裂田溝(さくたのうなで)公園で周辺を車椅子で散策、と書いてありました。けっこう色んな場所へ行ってるのですね。
--- お母さん、ドライブ楽しめましたか。 ---
そして夕食後、「家に帰る」と靴をはきました。
外に出る前、母は「送って」と言いますが、私は「いやここは私の家だから外へは出ないよ」と言うと、「何でねー。」と母は怒ったように言います。そして、外へ出たので、ついていきます。そしてすぐに疲れて、きつそうになったので「もう戻ろうね。」と連れ帰りました。
同じようなことが起きますが、仔細は若干その日によって違うようですね。出てくる言葉も違っていますし。
でも大筋は同じようなことで
、、、
今の家が自分の居場所ではなくて、帰る場所が他にあるので帰ろうとする
、、、
という事なのですね。
あーあ、もう疲れますが、付き合っていくしかありません。
その翌日も、同じようなことで「家に帰る」ってことで、すったもんだの挙句、、落ち着く、、と書いてありました。まったく、毎日かよ。
◆3月14日(水曜日)
夜になって夕食前でしたが、いきなりスイッチが入ったかのように、「電話せな、もうー間にあわん!」と叫びます。何?いったいどうしたの?
聞くとどうも大分県の別府の実家に居た頃の話のようです。でも「ついこないだよ!」と言うのです。
お母さん、今幾つなのでしょう。自分が子供の頃に戻っているみたいです。
で、その話はというと
、、、
家に居ると誰かがやって来て、お釣りがなかったので何も買わずに帰った。
その人に電話しないといけない。でも自分は会ってない(何で?)
お父さんもいなくて、、自分しかそこ(ちゃんと魚屋と言ってる)に居なかった。
、、、
とのことです。
とにかく、母の実家は魚屋だったのですが、独りで留守番でもしていたんでしょう。そこへお客さんが来ましたが、お店に「お釣りの銭」が用意してなかったので、何も買わずに帰ったと。でもそこで何故その人へ電話する必要があるのでしょうかね。???
ただ、これも夕食があると、すぐに忘れてしまったようですが。これほど具体的な昔の事実?のお話は初めてですね。
--- お母さん、大丈夫だよ。 ---
2021-07-13 08:57
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