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2014年1月~2月 親戚の通夜、告別式 [認知症と病気と介護]

82歳です。
近くの親戚(父の妹)が余命一か月であるとのこと![がく~(落胆した顔)]
急遽お見舞いに行ったのでした。

◆1月23日(木曜日)
夜になって佐賀県の叔父(父の弟)から、そのことが電話で知らされました。母に言うと、明日お見舞いに行こうと話合いました。

翌日、お花を持っていくことになり花屋へ行って、お見舞い用と告げると普通の花束ではなくアレンジメントの方がよいとのこと。このまま置けるし、そのまま捨てることもできるということです。

場所はすぐ近くの地方拠点の大病院でした。いつも母が膀胱炎でお世話になっている病院です。お会いすると、起き上がって元気な様子でした。ちょっと安心しました。母は何かよくしゃべっていたように記憶しています。

帰り際でした。従兄が玄関まで見送りに来たのですが、母は「さっきのはおばあちゃんでしょ?今度はあなたのお母さんに会う」などと言っています。[がく~(落胆した顔)] 従兄も困惑していました。私が「こうだからね、、わかるでしょ?」と認知症のことを伝えました。[ふらふら]

その後、あれが叔母さんだとわかるとビックリした様子でした。、、、えーー??[ふらふら]

数日後、先日お見舞いに行ったことはちゃんと覚えていました。またおばあちゃんと間違えたことも覚えていました。よく覚えているな、でも何で叔母さんを間違えるかねえ、と私はちょっと理解できないのでした。



◆2月5日(水曜日)
従兄から連絡があり、病院を転院して今は危篤だというので、母と向かいました。ここも大きな病院ですが、療養型の病院だということです。そのまま最後まで看取るという病院なんですね。(母の時もそういう病院へ転院しました、別の病院でしたが。)

最後のようでした。母は顔を近づけてじっと見つめています。最後の挨拶だったのでしょうか。そして家に戻り、夜8時ごろ電話にて息を引き取ったとのことでした。

翌日、仮通夜がありました。着て行く喪服はどこにあったのかと母と探したのですが、母はずいぶん肥えていて入らないようです。[ふらふら] そこで黒いセーターとズボンを履いていくことにしました。

さらに翌日、本通夜です。(考えたらコロナ禍の今はかなり簡素化していますね。)
通夜で会食後の時に年齢の話が出て、母が何度も同じこと聞くので皆大笑いです。母の認知症のことを皆さん暖かく見守ってくれています。[わーい(嬉しい顔)]

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お母さん大笑いの様子、何てえ顔だい。



◆2月8日(土曜日)
告別式です。普段合わない親戚のほとんどが同席していました。

最初は告別式で母は帰ることにしていましたが、やはり火葬場まで行くことにしました。ですが、やっぱりきつかったようです。火葬場で車イス借りられたのはとっても有り難かったです。

P1030009.jpg
火葬場での待ち時間の様子


それに皆さんの心遣いに感謝しました。
従姉妹は母の手を取ったりいろいろ気遣ってくれましたし、
ご遺族の従兄やその息子さんは送迎マイクロバスの入口近く座れるように手配してくれましたし、
また別の従姉妹の旦那さんは車椅子の足置きをサッとかけてくれたりと、
いろんな方々の気遣いがあって万事に事なきを得ました。
本当に皆さんありがとうございました。
合掌。




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