2017年9月中旬 足のむくみは解消したが、認知症も進んだか [認知症と病気と介護]
母85歳です。2021年1月からの取りこぼし拾いがようやく片付き、2017年からの継続が再開です。あーそうか、写真が無いんだったな。
◆9月9日(土曜日)
今日はデイサービスでした。施設ノートによると、SPO2が95%とちょっと低いようですが、本人はいったて普通なので、あまり気を使われなかったみたいでした。さらに、工作の「お月見飾り」のことについて書いてありました。
既に切り取り線が印刷された用紙をハサミで切り出して、糊付けして組み上げただけの物なんですが、高齢者には時間がかかるものなのでしょうね。また、母が作ったものなので、捨てるに捨てられないです。
なるほど、これねえ。
さて、帰って来てから寝る時間になりましたが、なかなか寝る準備しようとしませんし、ウロウロしています。そこでちょっと頭に来たのか、叩いてしまいました。日記にはこれだけしか書いてないので、もう忘れてますので、どういう状況だったのかわかりません。ただこれだけでは、単なる虐待じゃないか!
「これはこれで困ったもんだ。」と、日記には書いていますが、困ったのはそういう母の状況なのか?、私の態度なのか?
--- お母さん、ごめんなさい。 ---
その翌日でした。トイレの場所がわからない、さらに終わってトイレを流す操作がわからないようでした。認知症も進んでいるようです。
◆9月12日(火曜日)
さて、またまた眠れないことが起きました。午前3時頃まで起きていたようです『そういう時、ちょっと変、、』と日記にありますが、何がおかしいのでしょうかね。んーむむ。
翌々日も、眠れませんでした。寝たようですが、また起きる。その次は足をベッドの柵から出そうとしていましたので、思わず叩いてしまいました。
--- お母さん、ごめんなさい。 ---
◆9月15日(金曜日
午後3時ごろ「今から帰る」と言って、靴をはいて外へ出ます。駐車場のベンチにすわって、母は帰り道をいろいろ説明しますが、私は「それは別府やろ?」 その後5分ほど経って、「そろそろ家に入ろう」と言うと大人しく戻りました。
母は、どうも生まれ故郷のことが思い浮かぶのでしょうかね。今いる自宅が、どこか他所の家だと思い、生まれ故郷の家へ帰りたいと思っているように見えます。そんな母を、最初は、、あー何てこと!、、認知症も進んできたよ!、、、、などと思っていましたが、徐々にそうなっていくものだと考えるようにもなりました。
そう思えば、そういう母の姿を愛しいと感じます。
◆9月16日(土曜日)
この日は、何と午前4時ごろまで眠れません。いい加減、私もキレそうになります。そした案の定、叩きました。その後は何とか寝たんでしょうね。
認知症の物忘れも徐々にひどくなっていきます。夜の寝る前の薬を忘れる。朝の顔洗い、そして歯磨きした後は水出しっぱなし、、まあ、そんなことは私がやればいいことですが。
◆9月18日(月曜日)
この日は眠れないというより、一睡もしていません!、、と書いてありました。ですが、日記には本当に一言だけ、すぐさま別のことが書いてるし、ちょっと書くのが面倒だったな、と思っています。しかしこれでは後から見てもさっぱり意味がつかめません。とにかく記録したってだけの様です。
この時も、『叩いた』とあって、そのきっかけが『カニューラの引き裂き』だったとのこと。『どうもこれが一番キレるんだなあ』とありました。
これは確かに覚えています。このカニューラ(在宅酸素機器から鼻に装着する管のこと)を引き裂く行為がどうにもこうにも、すぐに頭に来るというか、もう黙ってられない状態になるのです。これは、何ともし難いことでした。
--- お母さん、本当にごめんなさい。 ---
今日はデイサービスでした。施設ノートによると、SPO2が95%とちょっと低いようですが、本人はいったて普通なので、あまり気を使われなかったみたいでした。さらに、工作の「お月見飾り」のことについて書いてありました。
既に切り取り線が印刷された用紙をハサミで切り出して、糊付けして組み上げただけの物なんですが、高齢者には時間がかかるものなのでしょうね。また、母が作ったものなので、捨てるに捨てられないです。
なるほど、これねえ。
さて、帰って来てから寝る時間になりましたが、なかなか寝る準備しようとしませんし、ウロウロしています。そこでちょっと頭に来たのか、叩いてしまいました。日記にはこれだけしか書いてないので、もう忘れてますので、どういう状況だったのかわかりません。ただこれだけでは、単なる虐待じゃないか!
「これはこれで困ったもんだ。」と、日記には書いていますが、困ったのはそういう母の状況なのか?、私の態度なのか?
--- お母さん、ごめんなさい。 ---
その翌日でした。トイレの場所がわからない、さらに終わってトイレを流す操作がわからないようでした。認知症も進んでいるようです。
◆9月12日(火曜日)
さて、またまた眠れないことが起きました。午前3時頃まで起きていたようです『そういう時、ちょっと変、、』と日記にありますが、何がおかしいのでしょうかね。んーむむ。
翌々日も、眠れませんでした。寝たようですが、また起きる。その次は足をベッドの柵から出そうとしていましたので、思わず叩いてしまいました。
--- お母さん、ごめんなさい。 ---
◆9月15日(金曜日
午後3時ごろ「今から帰る」と言って、靴をはいて外へ出ます。駐車場のベンチにすわって、母は帰り道をいろいろ説明しますが、私は「それは別府やろ?」 その後5分ほど経って、「そろそろ家に入ろう」と言うと大人しく戻りました。
母は、どうも生まれ故郷のことが思い浮かぶのでしょうかね。今いる自宅が、どこか他所の家だと思い、生まれ故郷の家へ帰りたいと思っているように見えます。そんな母を、最初は、、あー何てこと!、、認知症も進んできたよ!、、、、などと思っていましたが、徐々にそうなっていくものだと考えるようにもなりました。
そう思えば、そういう母の姿を愛しいと感じます。
◆9月16日(土曜日)
この日は、何と午前4時ごろまで眠れません。いい加減、私もキレそうになります。そした案の定、叩きました。その後は何とか寝たんでしょうね。
認知症の物忘れも徐々にひどくなっていきます。夜の寝る前の薬を忘れる。朝の顔洗い、そして歯磨きした後は水出しっぱなし、、まあ、そんなことは私がやればいいことですが。
◆9月18日(月曜日)
この日は眠れないというより、一睡もしていません!、、と書いてありました。ですが、日記には本当に一言だけ、すぐさま別のことが書いてるし、ちょっと書くのが面倒だったな、と思っています。しかしこれでは後から見てもさっぱり意味がつかめません。とにかく記録したってだけの様です。
この時も、『叩いた』とあって、そのきっかけが『カニューラの引き裂き』だったとのこと。『どうもこれが一番キレるんだなあ』とありました。
これは確かに覚えています。このカニューラ(在宅酸素機器から鼻に装着する管のこと)を引き裂く行為がどうにもこうにも、すぐに頭に来るというか、もう黙ってられない状態になるのです。これは、何ともし難いことでした。
--- お母さん、本当にごめんなさい。 ---
2021-06-24 09:50
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