記事の内容は置いておいて結論としては、
” 「家」が指し示しているのは、具体的な昔の家ではなく、「心が安心できる場所」なのです。、、、「家に帰る」という時は、
なぜここにいるのかわからなくなり、混乱して不安になっています。、、、「大丈夫だよ」のたった一言であっても、本人のことをわかろうとする思いが伝われば、今いるところが安心できると感じてもらえるかもしれません。
”
と、いうものでした。
そうだったか!、と、少し納得が行くような感じがありました。
母が「家に帰る」と言いだしたのは日記を探してみると、2016年2月9日の夜中が最初だったようです。
それによると、” 深夜未明起きてみると母が着替えている、、「家に帰る」、、、え?何?、、”、、と書いてあります。ブログにその内容が書いてなかったか探してみたけれど、見つかりません。まだまだ、ちょっとづつ抜けがあるんですね。(^^;
その時母も
何故ここに居るのかがわからなくなって、混乱し、不安になっていたのだろうか?
「お母さん、そうだったの?」その後は、なかなか「家に帰る」ということは言わなくて、夏になって8月に同じように夜中に起きたのです。言いだすと、止まらなくなって靴を履いて外へ出るのです。これには私も驚いたようですね。
この「家に帰る」というのは、いつ起きるのか全くわかりませんでした。定期的ってこともなかったですね。そして、起きた時には外へ出たりするので、誰かが居て見張っていないと大変なことになりそうです。つまり、24時間介護ってことですかね。
こうなった時に、「お母さん、大丈夫だよ。」などと言ったことはなかったなあ、、と思い返しています。
” 安心できる ”ように、そういう言葉をかけることが必要だと、この記事では言っていますが、自分はそうしていなかった、と反省しています。でも、そういう事情とは思いもよらなかったですからね。
今なら、もっと安心させてあげられるのに、、と、、。
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